こんにちは、通販 眺めのいい生活サイト WEBマスター:世空です。 みなさん、このダイヤリーを、およそ1年半年ぶりに更新しています。 ご無沙汰しておりました。 更新をしていない間に、福島を中心とした東日本大震災が発生し、世の中は100年に一度と呼ばれる経済不況の中にあって、さらに迷走しているようにも思え、わたしの家族はありがたいことに変わらずつつがなく生活をしておりました。 更新していない間も、アクセス状況を見てみると、結構、お読みいただいていて、驚いています。 話は東日本大震災のことに戻りますが、被災地当地は、映像も大量に流れ、その状況は、全国に知れ渡っているところですが、神奈川の我が家も、伝えられた地震速報の震度よりも、大きく揺れた感じがして、そこからして被災地の揺れが、びっくりするほどのレベルだと想像できます。 2011年(平成23年)3月11日、あの日、我が家も揺れ始めて、すぐにTVをつけて、ニュース映像をずっと見ていました。 ヘルメットを被った安藤優子アナウンサーもTVの中で揺れながら、地震の状況をアナウンスしていました。 わたしはすぐに揺れがいつもどおり(?)収まるをTVを見ながら待っていたのですが、いっこうに収まる気配も無く、揺れも少しずつ大きくなっていきました。 見ていた46型の液晶TVがバッタバッタとおじぎをはじめました。 転倒防止のワイヤーを一カ所付けていたので、多分倒れはしなかったと思いますが、プラスチック筐体の接合部が割れるのが不安になったため、テレビの上辺を手で押さえて、揺れる建物とTVを交互に見つめて、ただひたすら地震が収まるのを待っていたのでした。 液晶TVを買い替えて、そう期間が空いてなかったので、特に大事にしたい気持ちが大きかったのです。 TVを押さえている代償として、そこから動けませんので、棚のインテリア雑貨がガチャガチャ、チンチン音を出して揺れ、そうしている間にグラスや置物のいくつかが床に落ち始めたのでした。 ・・・それでもテレビから手を離せないわたし。。。 ・・・倒れて壊れたら後が面倒なものということで、最優先で守るべきものを大型液晶テレビということにした、尋常で無い揺れの中で、しっかり計算している自分がいたのでした。 しかし大事にしている他の雑貨が各部屋で、棚から転げ落ちて割れる音を聞きながら、そこへ行けないのは、わたしにとってたいへんなジレンマなのでした。 ・・・命の方を、もっと大事に優先させなくてはならないはずなのですが。。。 床に落ちて割れる雑貨の音を聞きつつ、同時に損失費用が、わたしの頭の中で加算されていくのでした。 そうこうしている内に、揺れがあまりにも長く続き、建物もいままでにないほど、軋み始め、物理的な状況の判断ではなく、生理的に感じる状況が、もう建物がこれ以上の大きな揺れに対して持つとは断言できないものにまでなっていましたので、そろそろテレビから手を放して、外に出ようと考えていました。 ・・・それでもいけないことなのですが、あともう少し、今より大きな揺れを感じたら外に出よう・・、あともう少し・・・、と揺れ具合をうかがっていたのでした。 テレビを観て、住まいの至る方向を眺め、あちこちに気を散漫させているうちに、揺れが治まってきたのでした。 結局、あと少しの大きな揺れを見計らう、ぎりぎりのところで、地震が収まってくれた感じです。 その後もTVの報道ニュースから目が離せませんでした。 そして妻の安否・・・。 わたしは我が家にいますが、妻は仕事先にいます。 携帯電話はつながらないと思ったし、それに本当に大事な連絡をするべき人々の回線確保のさまたげになるかと思い、携帯電話での連絡は行いませんでした。 妻は携帯に電話してくれたのですが、案の定、回線はいっぱいでつながらなかったのでした。 とりあえずパソコンから、妻の仕事先のメールアドレスへ安否の確認のメールを4件送りました。 この時、すでにもう電車の運行は止まっていると感じました。 むろんその通りだったので、妻の帰宅をどのようにしようと考えはじめました。 我が家は車を持たないライフスタイルで生活していますので、車で迎えにゆくことはできません。 勤務先の会社の状況はわかりませんが、会社で避難できなければ、近くでホテルで宿泊して欲しいと考えたのでした。 そしてそんなことを考えながら、テレビの報道ニュースを聞きつつ、住まいの点検と掃除を始めました。 不思議と壁に懸かっている鏡やアートフレームはまったく落ちることがありませんでした。(壁の物が落ちると、下にある物を破壊し、落ちてきたものも傷めますので、損害は倍増します。) 点検してみると、びっくりするほどインテリア雑貨満載の我が家にはたいへんありがたいと言っていいほどの軽微な損害で、フラワーベースとシャンパングラス、燭台、置物の数点が床に落ちて、割れただけでした。 ・・・それでも割れていいものなどありませんので、その軽微な損害に非常に胸を痛めつつ、余震に注意しながら、床を掃除したのでした。 それから掃除をしながら、その後テレビを通じて、さらなるショックな映像を見ることになったのでした。 そう・・・・、津波の映像です。 床に落ちる雑貨とその割れる音を聞きながら、あぁこのシーン、この音、テレビで映画や再現ドラマを見ているようだと不安な気持でいたのですが、その後テレビで流れ始めた津波のシーンは、まさに映画のようで、現実感が無いものとして感じたのでした。 ・・・我が家は津波の押し寄せる被災地ではないのですが、それでも自分の生活感の範囲の中で、現実に起こり得ることとして、受け入れられない気持ちがあったのでした。 その信じられない光景を目の当たりし、津波の被害はまず考えなくてよいわが当地にあっても、妻のことが心配でなりませんでした。 ・・・なんと、その後、妻は決して短くはない距離を勤務先から、この地であっても多くの人々と同様に、歩いて帰宅したのでした。 途中、近くのホームセンターの側にあった公衆電話から、妻は無事の連絡を入れてくれたのでした。 びっくりするぐらい近くまで帰ってきてくれていたので、その後は問題無く帰れることはわかっていたのですが、心配で迎えに行きました。 近くの県道は、帰路を歩く人でいっぱいでした。 ほどなく無事に妻と途中で落ち合うことができ、二人で帰宅することが出来たのでした。 被災地の惨状は言わずと知れた状況で、都内でも鉄道が止まり、寒い駅の構内や階段で夜を過ごした人々がいました。 我々夫婦はこれぐらいで済みましたが、被災地をはじめとして、苦難の状況の真っ只中にいる人々のことを考えると、涙がこみ上げてしまうのでした。 ・・・久しぶりにダイヤリーを更新してみると、ダイヤリーの空白を埋める最大にして最高のインパクトを残す一日として、やっぱり書かずにはいられません。 亡くなった方々の冥福を祈り、そして生きているわたしは、精一杯に、いまある生活の幸せを感じて、過ごしています。 このページのトップへ |