こんにちは、通販 眺めのいい生活サイト WEBマスター:世空です。
昨日、祖母が無くなり、急遽実家に向かい、高速バスに乗り込んで、車内で朝を迎えました。
少しは寝むれたようで、広島のサービス・エリアで休憩のため降りたときは、足がむくんだものの、けっこうすっきりとしていました。
浅い眠りの間、多くの夢を見たようであり、まったく夢を見なかったようでもありましたが、眠っている間に聞き続けていた高速道路の上を走る音だけが、しっかり意識に刻まれた感じでした。
サービス・エリアからは、広島の海が見え、その開けた景色に狭いバス車内での窮屈な思いが解き放たれるような気がしました。
食べ物と飲み物を買って、バスに戻り車内で食べたのですが、思ったほど食欲は無く、珍しく食べ残してしまいました。・・・こんな心境と状況では、当たり前と言えば当たり前ですが。
事故を迂回したために、予定より1時間近く送れて、目的地へ着きました。
都合のいいことに、その下車したバス亭は、実家から車で10分程度のところなのでした。
何かしらにつけて機嫌の悪くなる妹の迎えの車に乗って、実家へ行きました。
すぐに風呂を借りて、しっかり体を洗い髭を剃り、ようやくさっぱりとして、落ち着こうとしたのでした。
夕方から通夜に出席するまで時間があり、その間少し寝ておこうとも思ったのですが、中途半端なバス車内での睡眠と気持ちとで、まったく眠る気分になれず、5月の気持ちいい風と真上から落ちる陽の光を受けて、絵のような庭を眺めて、またいろいろなことに思いを馳せるのでした。
そうして時間が来ると、父の実家に向かいました。
すでに通夜のお経が始まっており、しっとりとした雰囲気の中で、通夜に参加しました。
通夜の儀式が一通り終わり、親族だけになると、急に打ち解けて、久しぶりに会う伯父や叔母、そしていとこ同士たちと会話をしたのでした。
明日は、お葬式です。いよいよ祖母としての形が無くなるのです。
形に固執する無意味さをわかりながらも、やはりその形がある意味、人を存在たらしめているのも事実・・・。
明日の火葬で、その形が永遠に失われるのが物悲しく不思議もあり、近しい人がとうとういなくなる象徴の瞬間を前にして、逆にわたしの中の祖母が静かに今まで以上に確かな形をとろうとしてるのを感じるのでした。
写真は今日の朝方下車した広島のサービスエリアから臨む瀬戸内です。
丁度、明けきったところで、世界がまだ澄んでいる感じがするときに、自分ひとりだけで見ているかのような錯覚に陥る景色です。
世の中で何が起こっても、変わらず毎日このような朝方を世界は迎えるのですね。
辛くても苦しくても、同じ朝を迎えるのなら、精一杯の笑顔を朝日に向けられる、そんな自分であり続けたいと思いました。
おばあちゃん、いままでありがとう。1世紀に渡る人生、たいへんお疲れ様でした。ほんとうにありがとうございました。
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