こんにちは、通販 眺めのいい生活サイト WEBマスター:世空です。
今日も冬らしい雨が終わった後、薄曇りな一日でした。
わたしは気分が乗らず、ベッドで静かに最近ハマッているノンフィクション小説と読んで過ごしました。
この小説は、以前妻と、そういえば神国日本と呼ばれる国にいながら、日本の神様のことは系統立てて歴史を知ろうとしたことはないよねということから、何かそれを構造的に説明した書物を探し、この本をそれと勘違いして買ったものでした。
しかし読んでみると、ある小さな新興宗教家の日々の艱難辛苦に満ちた求道生活が綴られていて、しかも作家本人を主人公として、本人や関わる人たちを神として、浮世で凡人と関わる苛立ち、腹立たしさ、苦悩の毎日がえがかれていたのでした。
彼らの生活の様相に関連付けて、世界の様々な事変が説明されていたり、神の世界を独自の解釈で(新興宗教家にあっては当たり前なのですが・・)自由に説明されているのですが、これが独自の表現で書かれているとはいえ、本人の日々のノンフィクションの生活であるとするなら、良くも悪くも凄まじいものが感じられます。
ですので、当初、歴史や古書による構造を捉えた神の構図が説明されていることを期待したわたしとしては当惑し、妻はすぐに投げ出したのですが、作家本人に対してはたいへん失礼なことであるのは承知しているのですが、求道をテーマにした新興宗教家のノンフィクション本、その生活の実態がえがかれた本として読むなら、本当に失礼ながら、かなり楽しくなってしまい、ちょっと最近手放せなくなってしまったのです。
その宗教家というか求道家、つまり作家が書いていることは、教えではなく、自分が求道している生活においての詳細・・・、生活で起こった欲情のからみなど、なまなましくも、よくも表現を抑えども、これだけ赤裸々に書けるものだと感心してしまいました。
そこにえがかれているものは、彼のいう所属している世界においての浮世の凡人には想像もつかない高い位にあっても、金に性に迷っている姿なのですから。
本人だけの閉じた生活ならともかく、それらに関わっている人がいる!、つまりある意味、彼の思想に従っている人がいるということですから、さらに驚くわけです。
しかし読み進んでいくに従い、ちょっと凄まじい内容にも関わらず、温かい気持ちになってきました。
それは書いてあることは、可笑しく思えることではありますが、ちょっと方向性やレベルを変移させて、一般の社会を考えてみるに、ここまで極端ではなくとも、同じようなおかしなこと、罪を犯しつつ、人は生きていることがわかります。
教えというか、作家本人の独特な調子を取っ払って、いいところを見出そうとするなら、確かに可能です。
そう考えると、たいへんな人生事業に着手されている作家さんであることは事実です。
彼に沿って、その生活をすることは、わたしにはとての考えられないのですが、自身の生活を振り返ると、教えられる気付かされる愚かさがかなりあることがわかります。
人が人を生きるスタイルのバリエーションは、無限であり、わたしたちはどの可能性も楽しみ学び響きあう固有体であることを、もっと意識しなくてはならないと思いました。
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