「父の日」は、アメリカで生まれました。
1909年、ワシントン州のソナラ・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)という女性は、「母の日」の存在を知り、「父の日」もあるべきだと考えました。
彼女の父ウイリアム・ジャクソン・スマート氏は、南北戦争の英雄と呼ばれ、北軍の軍曹でした。
ソナラの母親の亡くなった後に、戦後の悲惨な状況の中、彼女と5人の兄を、再婚することなく生涯独身で、男手一つで育ててくれた父親を、とても敬愛していました。
そこでソナラは、「聖職者同盟(牧師協会)」に嘆願したのです。
父親が6月生まれだったため、自分が通う教会の牧師に頼み、6月に「父の日」を祝う礼拝をしてもらったのです。
その日が、1909年6月19日で、第3日曜日でした。
このことから、ワシントン州では6月の第3日曜日が「父の日」とされたのです。
その後の幾人かの大統領によって、「父の日」に関する声明などが出されました。
1916年には、アメリカ合衆国第28代大統領ウイルソン氏の時に、アメリカ全土で認知されるようになりました。
1926年、ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織されました。
1934年には、「全米父の日委員会」が結成されました。
そうした後の1972年ニクソン大統領の時代に、国民の祝日として定められました。
バラがシンボル・フラワーとされていますが、それがソナラが父が亡くなったあとに、墓前にたむけたことに始まるとされています。
現在では、健在している父には赤いバラを贈り、亡くなった父には白いバラを供えます。
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