聖バレンタイン
バレンタイン・デーを英語では「Saint Valentine’s Day」と書きますが、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。バレンタインという聖人の日ということになります。
この聖バレンタインはもしくはバレンティノは、元となるいる人が二人いて、どちらが「聖バレンタイン」のバレンタインなのか、意見が分かれます。
ある説によれば、お話は西暦3世紀のローマに時代にさかのぼります。時の皇帝、クラウディウス二世(在位268−270年)が統治していた頃、戦争に出征したがらない若者たちに困っていました。
若者たちが、家族や愛する者たちのもとから離れたがらないためのようで、それを確信するに至った皇帝は、ついに結婚を禁じてしまいました。
その状況の中、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンティノ司祭は、かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。しかしそれはとうとう皇帝の知るところとなりました。
また当時のローマでは、キリスト教は迫害の憂き目にあっており、皇帝はバレンティノに罪を認めさせローマの宗教に改宗させようとしました。ところがバレンティノはそれを拒否したために投獄されました。
獄中生活において、判事の娘が取調中のバレンティノと密かに心を通じ合わせるようになり、判事の娘は盲目であったのですが、その愛の力を持って奇跡を起こし、彼女の目を治してしまいました。
しかしついにバレンティノは、西暦270年2月14日に、処刑されてしまいました。(269年という説もあります)。
処刑される直前に、バレンティノは「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。これが現在のバレンタイン・カードの由来とされています。
はじまり
ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためのルペルカーリアというお祭りが、何百年ものあいだ行われていました。
毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、お祭りが始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘とお祭りの期間、時にはその後1年間も付き合いをするというものです。
496年に当時の教皇ゲラシウス一世は、若者たちの風紀の乱れを憂い、ルペルカーリア祭を禁じました。
そしてくじ引きの内容を変えて始めさせたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。
そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンティノを、新しい行事の守護聖人としたのです。
そして次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。
中世ヨーロッパの14世紀頃から、その日の最初に出会った異性を「バレンタインの男性」「バレンタインの女性」と向こう一年間呼び合うという風習などがはじまりました。
そしてこれが第一次世界大戦後に、アメリカで急速に「恋人達の日」として普及するに至りました。
日本での始まり
日本でも昭和50年代前後から「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」として広まりました。
現在国内の調査によれば約70%の女性がこの日にチョコレート等の贈り物をしているとのことで、チョコレートの消費量もこの時期に年間全体の2割程度を消費しています。
日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのは昭和11年のモロゾフだそうで、その後戦争の時期を経て昭和30年代ころにデパートが単純に恋人に贈り物をする日として宣伝したようですが、その時はそれほど定着はしなかったようです。
チョコレート業界でのはじまりは、昭和33年にメリーの営業主任であった原邦生氏(後社長)がヨーロッパの知人からバレンタインの話を聞き、新宿伊勢丹デパートでキャンペーンセールを行ってみたのですが、ものの見事に当ては外れ最初の年はチョコレートはわずか5個!170円分しか売れなかったという話が残っています。
その頃からメリーと森永だけが毎年バレンタインの広告を出していましたが、やはり定着するには昭和50年頃を待たなければなりませんでした。
いまではキリスト教をのなじみが薄いところもあって、本来意味したところを離れ、個人の告白のためや人間関係のしがらみを考えてのことであったり、ショップの商戦戦略のためのものにすりかわった感がありますが、自分の命を犠牲にして神の愛を教え広め実践しようとした聖バレンタインの行いをモデルとして始まったものなのです。
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