前節で触れた実家への旅行から戻って、ゆっくりと「親孝行」そして親の喜びというものを考えました。
親にとって、孝行とは、子供からの形ある恩恵を受けることではなく、子供が立派に成長していく様を見ることなのだと、改めて実感しました。
そうして、もちろんですが、とても身が引き締まる思いになりました。
わたしが近い将来、親になって、やはり子を思うとき、何かしてもらうことではなく、子供の立派な成長が自分にとって一番嬉しく、それが孝行と考えています。
知識での孝行の概念は、『孝』とは、子が親に仕える道理であり、東洋思想の根幹とされ、伝統的な価値観といったものですが、きちんと向き合えば、知識だけではなく、自然に自分の中で育つものと思います。他のさまざまな大切な気持ちや徳に似て、見返りを必要としない・考えない素敵な気持ちがそこにあります。
いままで満足に、親孝行とは何か、向き合うことがなかったからでしょう、自分が幸せになることに後ろめたさを感じていました。
でも今は、はっきり幸せを自分から発散し、両親に表現しています。「わたしは幸せです。」両親にそれを伝えることほど、両親が喜んでくれることはありません。
一見、おこがましいようですが、子としての「幸せ」が、親への最高の「親孝行」だと思います。
そしてその「幸せ」ですが、自分が幸せであるということは、「誰か、自分がいることで幸せでいる人がいる」ということが前提であると思います。自分だけが幸せと思える状況は、本当の幸せではないと思います。
「幸せ」になるためには、・・・・昔から、もちろん今も、人生最大のテーマだと言えます。
「親孝行」という「親」を幸せにする徳を実現するために、先に書いた理由で、まず誰かを幸せにする、幸せな自分になりましょう!妻や恋人、家族、友人を幸せにする力と姿勢を身に付けましょう。
疲れて悩み苦しんでいるとしても、誰かの幸せを守り育てるあなたでいる努力をしましょう。きっとそれが結果として、自分の幸せの一番近道だと思います。
誰か幸せにしたい人がいるのなら、常に自分をベストの状態に持っていくよう心がけたいものです。
なぜなら、幸せにしたい人が、苦しみや悩みの荒波にいるとき、救えるのは、同じ荒波に溺れてしまう状況のあなたではなく、荒波に立ち向いそこから救う力をきちんと持ったあなたなのです。
相手が溺れそうなほど、苦しみ悩んでいるとき、自分だけが明るく楽しくあると、後ろめたく考えるのは、不適切です。水に溺れている人を、泳げない人が助けられる可能性は低いのですから、お互いがお互いのそういったもしもの時を考える意味でも、楽しく明るくあるベストな状態を維持すべきです。
そうしてお互いが手に入れて維持している「幸せ」が、見守るそれぞれの親への「孝行」だけではなく、関係するさまざまな人へ広がってゆくでしょう。
わたしが思う、この自分の「幸せ」は、「相手の幸せ」があって成り立つものですから、それだけのことを実現させる湧き上がるものを、常に自分の中に持っていないといけないと思っています。
そうして明日が今日よりも充実した生活を送り、たいしたおじさんにならなくてもいい、ただ、わたしが誇れる「わたし」になっていることを誓いたいと思います。今の自分、頑張れ!!!
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