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親孝行のすすめ Part. 1

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ライフ・エッセンス/親孝行のすすめ1
 

いまどきの孝行のかたち。

 

 今回のテーマは、「親孝行」についてです。

 親孝行は、いつの時代にも大切な徳とされ、早くから小学校でも道徳の授業で、教育に取り込まれています。親孝行と聞いて、「いまさら・・・」と思ったり、どこか照れてしまう人が、多いと思います。思春期の年頃の人なら、なんでまたそんな、興味ないよ、といった反応が実際のところでしょうか。親は身近な存在だけに、なかなか素直になれず、照れくささや反感が先にたち、親孝行を実感&実行できない人が多いのでしょう。また逆に親孝行と聞けば、何かしらの期待を込めた偽善行為と感じる人もいるかもしれません。
 しかしアジアでは昔から自然と、親と先祖は敬われてきました。しかしそういった「敬い」や「感謝」、「恩恵」を感じても表現することが、昔とは変わってきたようです。
 殺伐としたクールな社会、そして学校の人間関係が、家族のつながりにも影響してきていることも原因の一つに挙げられます。また「親」という定義自体、その存在感とともに、変化しています。
 そして少子化と核家族化が進んで、昔ながらのワイワイガヤガヤとした家族の風景は珍しくなったのか、大家族の生活の様子をドキュメンタリーで放映するテレビ番組も見かけます。放映されていると、わたしも好きでけっこう見ています。
 そしてそういったテレビ番組では、ただの大家族というわけではなく、各々の子供たちや親がいろいろな問題を抱えていて、見ごたえ(?)のあるドラマとして構成され展開されます。両親の事情、たいてい離婚していたりすることが多いのですが、たいていあまり経済的に裕福とは言えず、住まいも人数に対して割り当てが狭く、そのような環境の中で、多くの子供たちが各々の視線から見た社会が語られます。ほとんどの場合、無邪気で陽気で、じゃれあって賑々しく育つ様子が、そこに描かれているのですが、一人一人の子供たちが発する一言に、普段向き合わないでいる小さなことに気付かされたりします。
 そこから平凡な、今のわたしの家族においても、きちんと掘り下げて見れば、多くのことに気づかされます。

 今みなさんの家族への思いとは、どのようなものでしょう。様々な親子間、親族間の悲惨な事件がニュースで報道されますが、もちろんそれは極端な例としても、延長線上でそれにつながるような、家族の間でも疎遠な感じやコミュニケーションの不和が入り込み、なんとなく「親不孝だなぁ」という気持ちがあっても、今日のスピードの早い現代社会の生活の中で、様々な出来事の中で、はっきりさせないままに、そんな気持ちもすぐに溶けて忘れてしまう・・・。そういった関係が多い中で、わずらわしく感じる干渉をお互いが避けて、家族としての意識を薄くし、家族があることによる恩恵・愛情を育てるかわりに、別の空虚な何かを増幅しているのかもしれません。

 そして10代、20代の若者にとって、毎日の生活は、どんどん世界が広がり開けていくときで、いつもいてくれて傍にいる両親が当たり前な場合が多いだけに、親は、空気か水のように、あって当たり前で、そして絶対なくてはならない存在であることが基本ですが、「あって当たり前」ということを受け入れていても、「絶対なくてはならない存在」としての認識は、あまり考えなかったりします。
 そのような気持ちを抱く若い世代は、多いことでしょう。ある意味、その頃のそんな気持ちは、成長の一つの表れともいえます。

 わたし自身を振り返ると、10代後半、20代にかけて、自我が今まで無いほど自由な状態になった頃、親に対していい子供だったとはいえません。
 特に非行に走ったとか、犯罪行為に及んだとか、そんなことは無かったのですが、親に対しての気付くべきだった、持つべきだった認識が、とても希薄でした。
 今に至っても、たいへん親孝行しているというわけでは、残念ながらありませんが、「親」というよりも、むしろ「人」に対しての、自分のあり方を反省している毎日で、とても本当の「親孝行」を実践できていないのが、悲しい実情です。
 それでも毎日、毎日、いろんな視点から、ふとした時にさまざまなことを考えます。普通、「子」であるわたしより、「親」の方が人生の時間は短いですから。何か「親」が喜ぶこと、より充実した時間を、どのように、今の自分が実行すれば実現するのか、とても大切なテーマです。

 

松下松蔵さんに学ぶ。

 

 ある時、調べ物をしていて、様々なサイトを見ていたのですが、いつの間にか調べ物とは関係のないテーマの某サイトにたどり着き、そこで道徳の普遍的テーマである【親孝行】というものを真正面から取り扱っている内容に、とても新鮮な印象を受け、気が付けば調べ物のことはそっちのけで、ぐいぐいと惹きこまれるように、そこに書かれてあったことを読み始めたのです。
 先の項でも書きましたが、「親孝行」というと、「道徳のテーマ、大切に思うべきもの」といった一般常識以上に、真正面からじっくりと考えることは無かったのですが、そのサイトで、しっかりと向き合っている扱っていること自体が新鮮で、なおかつ気付くべき当たり前であったことに気付かされたのでした。そして今までの一般常識だけで形作られていた「親孝行」という壁を壊し、その向こうにある何か向き合うべきものに、やっと焦点があったのでした。
 そして自分で行き着いたその焦点のタイミングは、果てしなく遅いと感じ、反省したのです。

 そこに書かれていたのは、「親孝行」が主軸となった内容ではなく、ある昭和の偉大な史上稀に見る霊能力の持ち主の生き様・能力が語られていたのですが、その内容の一つが「親孝行」について書かれていたものだったのです。

 その霊能者は、松下松蔵さんといいます。すでに故人ですが、塩谷信男医学博士の著書の中でも、何度か紹介されており、そのキリスト以上とも思える驚異的な病気の治癒と浄霊能力、世界を見渡す力を、多くの苦しむ人・悩める人のために使い、驚き感動したのですが、同時なぜこれほどの人が、昭和の近い過去までに存命だったのに、その存在が埋もれてしまったのか不思議に思ったでした。
 わたしは特に特定の宗教を奉じてはいませんし、一般的にテレビ番組で紹介される霊能者・霊能現象のたぐいも、はっきりと線引きして意見を持っていますが、霊能、宗教、神秘などをうさん臭く思う人でも、松下さんが考え実行されたとされていることには、純粋に多くの人が感動をすると思います。
 松下松蔵さんのご子孫は現在、松蔵さんの生地の熊本県長洲で宗教法人として、神社を運営されています。さらに松下松蔵さんのお弟子さん(?)が、全国各地でその後神社を作ったり、新しい宗派を運営されているようです。本家にせよ、お弟子さんの宗派にせよ、特に目立った宗派ではありませんので、宗派の名前を聞いても、ほとんどの方がそれとわからないと思います。

 そこで書かれていた「親孝行」の内容に入っていく前に、松下さんの略歴を、ちょっと述べてみたいと思います。この度のテーマは、「霊能力」ではありませんので、その偉大な能力の詳細については、割愛致します。

 松下さんは、幼少の頃より病気がちで、教育も受けておらず、文盲でした。しかし性格は正直で一途で、親孝行の権化でした。厳格な父親のもとで、徹底した親孝行を貫きました。
 1919年、46歳の時に、大宇宙の大神様の御神気を受け、偉大なる霊能力を開花させ、その後の人生において、人々の病を治し、浄霊を行いつつ、人の道を示したのでした。
 当時、「九州毎日新聞社」と「主婦之友」で大特集され、全国広く知れ渡り、海外からの相談者もあり、松下さんが住む地域の最寄の駅からは、「生き神様」行きの特別便バスが出ていたほどでした。
 「霊能」という言葉に人それぞれの反応はあるかと思いますが、わたしが何より驚異的に思ったのは、まずおよそ人という枠組みを受けた生物が、ここまでの力を発揮できたという、人の能力の素晴らしさに感動したのです。そこで起こったことは、書いてあることが事実であるなら、まさにキリスト様並の奇跡なのでした。

 もっとも松下さんは、その力は自分の力ではなく、大神様が自分の体を通して、発揮しているのだとおっしゃられていたそうですが。しかしこの世に生き、しかも昭和という自分も存在した同時代に、そのような稀に能力が突出した人物がいたなんて、なんてすごいことなんだ!と、素直に思いました。まゆつばものだと思われる方も多くいらっしゃると思いますが、実際そんな人物がいたらと想像してみてください!人としての可能性の素晴らしさの一端が、そこに見えますよね。

 そしてみなさんが多分興味を持って知りたいと思うのですが、松下さんがその能力を授かる至った原因となるものは、長年の一徹した親孝行の徳を、大宇宙の大神様とされる大いなる存在より、認められ嘉されてのことだったのです。

 多分、普段人が軽く考えることを、人が思う以上に、「親」という存在はもちろんのこと、さまざまなのことに正直に丁寧に真摯に向き合ってこられたのだと思います。
 周りの子供とは違い、子供の頃から信仰心が深く、正直者で、その有様を見た村人たちからは、馬鹿正直者と陰口をたたかれながらも、人生のことや来世のこと、そして神様のことなどに思いを馳せ、自分からお寺へ出向いて坊さんの説教を聞いたり、神社に出向いて神主さんから講話を聞いて、日夜真理の追究に励まれたのですが、松蔵さんの胸中には、いつも疑問が残り、納得のいく答えが見つからなかったのでした。
 そして松蔵さんの父親である恵七さんは、正直者で勤勉努力の篤行家で、その家業に熱心なあまり、外に対しては寛厚の長者であったのに対して、家長としてはすこぶる頑固一徹な厳格な性格だったそうで、松蔵さんの正直一途の家業ぶりを面倒がって、ある時は大声で叱咤し、ある時は鉄拳をふるって殴打することすらあったのです。
 ですが、この上も無く親孝行の権化である松蔵さんは、日常において、ただの一度として口答えをされることがなく、嫌な顔色さえされず、それは傍目では気の毒なほどであったそうです。
 そうして、現在の社会では信じられないほどの親孝行に徹しながら、田畑を耕し、農閑期には塩の行商に精を出し、その収入で一家の経済を支え、子供の養育にも心を注がれたのでした。
 ある時、お父さんに言葉柔らかに、こう言われたそうです。「父上、私も本年は45歳になりました。子供もすでに5人あります。私を殴られるのは、私の至らぬからで、いたしかたもありませんが、ただ、子供の手前がありますから、子供の前では殴らないでください。」と言われたところ、さすがに一徹の父親も「うんそうか」とにっこり笑って、その後は打つ手を納められたのでした。
 松蔵さんは、毎朝夕には必ずその日の日課として、父親の教訓を受けることを怠らず、物事を勝手に推し進めたことはなかったのでした。この親孝行ぶりは、父親が87歳の高齢で没されるまで、徹底的に実行されたのでした。

 今ならそういった親子関係が稀で、戦前戦時中だから、ありえた状況だと言ってしまえば、その通りかもしれません。多分、今では考えられないほど、不条理なことだらけだったろうと思われます。しかしその環境にあって、松下松蔵さんの中にあるものが、時代に植えつけられた道徳観だけでは、そのような能力の開花には至ることは難しいと思うのです。
 この松下松蔵さんの親孝行のあり方をそのまま、現代の社会に当てはめることはできませんが、視点を変えて言うならば「親孝行」と言う前向きな姿勢は、大いなる能力の開花の源となった大切なことであると言えます。・・・もちろん能力開発のための「親孝行」では、「親孝行」にもなりませんし、霊能力も開花しません。
 そうして「親」だけの限定ではなく、他の誰にでも実直であることが、素晴らしい松蔵さんの特性であることは間違いありません。

 この親孝行から、素晴らしい能力を開花させ、多くの人々を救い続けて、生涯を終えた松蔵さんの逸話は、わたしに一般常識程度の認識としての「親孝行」のその向こうと、きちんと向き合うきっかけを与えてくれたのでした。

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