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親孝行のすすめ Part. 3

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ライフ・エッセンス/親孝行のすすめ3
 

普段の生活さえ、親には親孝行となる。

 

 親にとって、子供が何の生涯も無く、平凡に毎日を生活することだけでも、喜びとなります。
 そう考えると、何気ない普段の毎日を丁寧に生活していることで、小さな親孝行をしていることになります。

 そしてわたしも人生の一大イベントである結婚の時期を向かえた時のことを思うと、まさにそれは両親にとっても、大きな親孝行となったのでした。今は妻となった女性を、両親に合わせるために、実家に行ったときのことを思い出します。

 自分の節目節目をきちんとかたちにしていく義務ももちろんありましたが、彼女を両親に紹介することが一番の目的で、それによって妻も両親も、とても安心し喜んだことを思い出します。
 そんな自分のイベントでさえ、自分の周りに、笑顔が満ち溢れ、喜びと幸せの輪ができたのは、わたしにとって、実は新鮮な驚きだったのでした。
 つくづく親を安心させてなかったものだと、反省したのでした。

 時間をおいて、実家の両親に会うと、一番ショックなのは、その老け具合による変わり様です。
 痩せてしわの増えた姿が、昔のイメージがいまだに多くを占めるわたしの中の面影と、次々に入れ替わって、痛ましさや寂しさ、そして申し訳なさなどが複雑に入り混じった気持ちとともに、次第にギャップを埋めていきます。
 あれだけ厳しく、子供の頃のわたしには、生きている鉄にしか感じられなかった時があった程の父は、すっかりおだやかで丸くなって、何でもわたしのことを優先して考えてくれます。
 きっと父は父なりに、わたしが子供の頃の接し方に後悔しているところがあるので、なおさらかもしれません。

 時代が時代ですので、実家の事業の事務処理もパソコンなくしては都合が悪いこともあって、その対応をわたしが行っているのですが、両親に説明しなくてはならないことgばあると、両親には難しい話でも、それはもう一生懸命聞いてくれます。信頼と安心を、わたしに全部預けてくれています。

 その時の帰省でわたしが実家で過ごしたのは、3日間でしたが、その間必要以上に難しいことはせず、出来るだけみんなが楽になるようなことを片付けておこうと考え行動しました。
 いま思うと、短い時間の制約が言い訳に成らないほど、満足できたものではありませんが、それでも一生懸命に考え行動しました。

 わたしには時間があっても、両親には悠長に考えられる時間はありません。いつ、よくある感傷的な思い出に、変わって終わってしまうやも知れません。普段は遠く離れて生活していますので、わたしもいますぐ自分が思うような、立派な孝行をするには、さらに時間と準備が必要です。
 こうしてなんとか、実家の家族に、今の妻を紹介し、実家の事業の事務処理を段取り片付けると、しばらく会ってない父方の祖母のお見舞いに行きました。そこでも過ぎ去りし時が、自然と与える変化にショックを受けたのでした・・・。

 

家族の喜び。

 

 わたしの父方の祖母は、長く入院生活を送っているのですが、なかなか実家に顔を出すことのなかったわたしは、実家の家族以上に祖母や祖父には会っていませんでした。
 それでその時まで、祖母の面影と言えば、たいへん快活なおばあちゃんといった記憶しかなかったのですが、病院で久しぶりに会って、両親以上の変わり様に、びっくりしたのでした。
 その2年前に、電話で元気な昔ながらの声を聞いていた自分にとって、信じられないくらいの変わりようだったのです。すっかり痩せて、髪が薄くなり、入れ歯を外していたせいもあって、顔の骨格が変わってしまい、まったくの別人に思えました。
 残念ながら、一人で病院にお見舞いに行っても、祖母を祖母だとわからなかったと思います。「元気なおばあちゃん」だったイメージは、簡単に潰えて、そこには萎んだ皺だらけの小さな老人がいたのですから。

 馬鹿な話ですが、自分が変わっても、いつまでたっても親や祖母・祖父は変わらない幻想を、持ちえていたのです。

 祖母は多少ボケが始まっていて、記憶がところどころあいまいになっていると聞かされていましたので、わたしのことがわかるかどうか不安だったのですが、対面してみると、思ったよりしっかりしていて、入れ歯を外して喋っていたので、言葉ははっきりしませんでしたが、ちゃんと確かな意思疎通ができたのでした。
 今でも忘れません・・・。
 わたしは、結婚すること、そしてその相手の彼女を紹介すると、祖母の目に涙が溜まっていました。そばにいる間、ずっとわたしの目から視線を離さず、じっと見つめていました。人生の終焉の時期が近くなったものだけが持ちえるような、何もかも見透かすようで、何も求めていないような透明な目でした。
 そしてわたしたちが話しかけるより多く、一生懸命話しかけてくれました。聞きづらいので、口元に耳を寄せて聞くと、ほぼだいたいのことが聞き取れました。

「わかれるな・・・。いえをつげ・・・。
ふたり、なかよく・・・。
としはいくつになった・・・。
はやく、こどもをつくれ・・・。」

 祖母の痩せて髪の毛が薄くなった頭に手をやって、その言葉をずっと聞いていました。この感触を、きちんと実感しておきたいと思いました。
 祖母の口の中が乾いているようなので、口で吸い込む細いホースが付いている急須を持っていくと、まだ力強くお茶を飲みます。ずっと頭に手をやっていると、祖母の顔が若返ったようでした。
 そのお茶を飲む動きに、祖母の生命力を感じて、祖母にはまだもう少し時間があることを感じ、安心したのでした。特に医者に容態のことを聞いたわけではありませんが、わたしにはわかりました。
 次は無事に会えるかどうか、わかりません。周りの人は多分、無理といっていますが、わたしには何故かまた会えることが実感できたのでした。

 わたしたちが病室を出るときも、祖母は、じっとわたしの目を出来るかぎり追って、見つめていました。わたしは何度かこらえた涙をなんとか見せずに、病院を後にすることができました。
 病院を後にしたとたん、不思議なことにわたしの中の祖母のイメージは、病室であった老人から、元気に家事をこなしてはつらつとしていた頃の祖母に戻ったのでした。
 そして急速に流れていく時間の恐ろしさを感じつつ、わたしという人間が親にも祖母・祖父にも、今だに孝行できない未熟で力の無い人間だということを思い知らされたのでした。
 そしてその時の気持ちも生活の惰性の中で、やがて忘れてしまうであろうことを考えて、救われない自分をこれほどまで嫌に思ったことはありませんでした。

 その後の最後の日程は、お墓参りを残すのみでした。
 祖母の母、つまり父を養子として引き取った曾祖母が眠る墓前で、手を合わせ、彼女の紹介をし、丁寧に墓掃除をしました。

 墓地からの帰り、太陽は真上に輝いて、自分が生まれた場所なのに、今まで気付かなかったかのように、びっくりするぐらい美しい景色が広がり、燦々と太陽は陽射しを注いでいるのでした。きっと生まれ育った故郷とは、そんなときに特にそう見えるものなのかもしれません。
 景色は真上から陽射しを受けて輝き、快い鳥たちのさえずりが聞こえてきて、道端には真っ白なモンシロチョウが飛んでいます。感じられるその世界から賛歌を受けて、まさしくわたしは天国にいるようでした。その時撮影した写真があるのですが、もちろん記憶の中の輝きが、そこに見出せるはずがありません。

 こうして今の妻である女性を家族に紹介、祖母のお見舞い、お墓参りと、全日程を終えて戻ってきたわけですが、何につけても親は喜んでくれて、ありがたがり涙を流していました。人生にふんだんに訪れる自分のイベントさえ、親には「大きな喜び」となっていたのでした。
 満足できた限りではありませんが、振り返って気づかされたことがあります。
 それは、またしても自分が、今回も一番恵みを与えてもらったということです。孝行しようと思っても、常にこちらが与えられる・・・、親とはそういう存在なのかもしれません。

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