わたしの父方の祖母は、長く入院生活を送っているのですが、なかなか実家に顔を出すことのなかったわたしは、実家の家族以上に祖母や祖父には会っていませんでした。
それでその時まで、祖母の面影と言えば、たいへん快活なおばあちゃんといった記憶しかなかったのですが、病院で久しぶりに会って、両親以上の変わり様に、びっくりしたのでした。
その2年前に、電話で元気な昔ながらの声を聞いていた自分にとって、信じられないくらいの変わりようだったのです。すっかり痩せて、髪が薄くなり、入れ歯を外していたせいもあって、顔の骨格が変わってしまい、まったくの別人に思えました。
残念ながら、一人で病院にお見舞いに行っても、祖母を祖母だとわからなかったと思います。「元気なおばあちゃん」だったイメージは、簡単に潰えて、そこには萎んだ皺だらけの小さな老人がいたのですから。
馬鹿な話ですが、自分が変わっても、いつまでたっても親や祖母・祖父は変わらない幻想を、持ちえていたのです。
祖母は多少ボケが始まっていて、記憶がところどころあいまいになっていると聞かされていましたので、わたしのことがわかるかどうか不安だったのですが、対面してみると、思ったよりしっかりしていて、入れ歯を外して喋っていたので、言葉ははっきりしませんでしたが、ちゃんと確かな意思疎通ができたのでした。
今でも忘れません・・・。
わたしは、結婚すること、そしてその相手の彼女を紹介すると、祖母の目に涙が溜まっていました。そばにいる間、ずっとわたしの目から視線を離さず、じっと見つめていました。人生の終焉の時期が近くなったものだけが持ちえるような、何もかも見透かすようで、何も求めていないような透明な目でした。
そしてわたしたちが話しかけるより多く、一生懸命話しかけてくれました。聞きづらいので、口元に耳を寄せて聞くと、ほぼだいたいのことが聞き取れました。
「わかれるな・・・。いえをつげ・・・。
ふたり、なかよく・・・。
としはいくつになった・・・。
はやく、こどもをつくれ・・・。」
祖母の痩せて髪の毛が薄くなった頭に手をやって、その言葉をずっと聞いていました。この感触を、きちんと実感しておきたいと思いました。
祖母の口の中が乾いているようなので、口で吸い込む細いホースが付いている急須を持っていくと、まだ力強くお茶を飲みます。ずっと頭に手をやっていると、祖母の顔が若返ったようでした。
そのお茶を飲む動きに、祖母の生命力を感じて、祖母にはまだもう少し時間があることを感じ、安心したのでした。特に医者に容態のことを聞いたわけではありませんが、わたしにはわかりました。
次は無事に会えるかどうか、わかりません。周りの人は多分、無理といっていますが、わたしには何故かまた会えることが実感できたのでした。
わたしたちが病室を出るときも、祖母は、じっとわたしの目を出来るかぎり追って、見つめていました。わたしは何度かこらえた涙をなんとか見せずに、病院を後にすることができました。
病院を後にしたとたん、不思議なことにわたしの中の祖母のイメージは、病室であった老人から、元気に家事をこなしてはつらつとしていた頃の祖母に戻ったのでした。
そして急速に流れていく時間の恐ろしさを感じつつ、わたしという人間が親にも祖母・祖父にも、今だに孝行できない未熟で力の無い人間だということを思い知らされたのでした。
そしてその時の気持ちも生活の惰性の中で、やがて忘れてしまうであろうことを考えて、救われない自分をこれほどまで嫌に思ったことはありませんでした。
その後の最後の日程は、お墓参りを残すのみでした。
祖母の母、つまり父を養子として引き取った曾祖母が眠る墓前で、手を合わせ、彼女の紹介をし、丁寧に墓掃除をしました。
墓地からの帰り、太陽は真上に輝いて、自分が生まれた場所なのに、今まで気付かなかったかのように、びっくりするぐらい美しい景色が広がり、燦々と太陽は陽射しを注いでいるのでした。きっと生まれ育った故郷とは、そんなときに特にそう見えるものなのかもしれません。
景色は真上から陽射しを受けて輝き、快い鳥たちのさえずりが聞こえてきて、道端には真っ白なモンシロチョウが飛んでいます。感じられるその世界から賛歌を受けて、まさしくわたしは天国にいるようでした。その時撮影した写真があるのですが、もちろん記憶の中の輝きが、そこに見出せるはずがありません。
こうして今の妻である女性を家族に紹介、祖母のお見舞い、お墓参りと、全日程を終えて戻ってきたわけですが、何につけても親は喜んでくれて、ありがたがり涙を流していました。人生にふんだんに訪れる自分のイベントさえ、親には「大きな喜び」となっていたのでした。
満足できた限りではありませんが、振り返って気づかされたことがあります。
それは、またしても自分が、今回も一番恵みを与えてもらったということです。孝行しようと思っても、常にこちらが与えられる・・・、親とはそういう存在なのかもしれません。
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