さてきれいに生活するためには、ゴミの処分というのが必須となってきていますが、世界の発展途上国では、そのゴミを生活の糧としている人たちもいます。
以前テレビで、マニラのごみ集積埋立地でバラックを立て生活する子どもたちの、ドキュメント番組を見ました。その子どもは、そのごみ集積埋立地で、プラスチックと空き缶を拾って、生計を立てていました。
ドキュメントで取り上げられ取材の中心となった子供の父親は1年前に殺され、母は身体が悪くほぼ寝たきりです。ご飯は三日に一度。それも塩で味付けしただけの、お粥です。
子供でなおかつ女の子ということもあって、資源となるゴミを見つけ、お金に換える能力も低いため、生きるにぎりぎりの食べ物しか得ることができないのでした。
われわれにはゴミは、邪魔で汚れものですが、そこにはそれを目を皿のようにして、命がけで拾っている人たちがいました。
ゴミ捨て場には、取材の中心となった女の子以外にもたくさんの子供たち、大人たちがゴミ拾いをしています。
またゴミ捨て場場内には、ゴミをならす大きなブルドーザーや、ゴミを搬入するトラックが走り回っています。
金目になる資源ゴミをいち早く掴むために、トラックやブルドーザーの周りに群がるため、子供の何人かは巻き込まれて亡くなっているそうです。
太陽熱が容赦なく降りしきる中、景色がゆらいで、陽炎を通して見るゴミ捨て場は、まさに地獄絵図を呈していました・・・。
現在、日本の経済状態が一般消費者にとって、厳しいものであることは事実ですが、一概にマニラでゴミ捨て場を生活の場とする人たちとわたしたちの生活をすぐに結びつけて比較できるものではありませんが、清潔で電気・ガス・水道が完備されているわたしたちの生活は、圧倒的に恵まれています。
ゆったりとソファーに腰を下ろし、快適な環境から、そのマニラのゴミ捨て場で過ごす人たちのドキュメント番組を見ると、誰もが自分の生活を振り返る機会になり、気付く起点になると思います。
日本にいて、清潔に美しく生きることは、簡単なことで、せっかく恵まれた環境を、精一杯生かすことを楽しみ、そして他国の現状を知り、応援をすることが大切なことに気付きます。
お話が「部屋」から、いきなり「地球環境」へでは、ピンとこないかもしれませんが、部屋をきれいにしたら家の中、家をきれいにしたら、エクステリアや家前周り、そして近隣の環境へ・・、と、そうして個人個人の意識を拡張して連携しあい、みんなで近隣の環境をカバーしていきませんか?
理想的なだけのメッセージに聞こえるかもしれませんが、さまざまな悲惨な事件が誘発を繰り返し、人的環境、自然環境が悪化する中で、結局理想的なメッセージに見られる根本に目を背けては、何も解決しません。
新聞やテレビなどのメディアで、地球はこんなに危機状態にある、といったテーマで番組が組まれることが珍しくなくなりましたが、自分の身に直接すぐに影響のでない限り、その番組や記事を見ただけで、満足してしまいそれ以上考えるのをやめていたりします。
個人でできることは小さいですが、社会の構成要素は、わたしたち個人で成り立っています。みんなが部屋をきれいにすることで、少なくとも確実に個人が心がけたスペースは最適化されます。その後、個人と個人を繋ぐ空間、家と家を繋ぐ空間、地域と地域を繋ぐ空間をきれいにしていきたいものです。
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